江戸に幕府が開かれた慶長8年(1603年)の翌年に、日本橋を起点として五街道が定められました。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道で、各街道にはそれぞれ一定数の宿が置かれ、宿は伝馬を提供する義務が課せられていました。
甲州街道は日本橋から甲府に至る幹線で、甲府から中山道の下諏訪まで連絡していました。甲州街道は、日本橋から最初の宿場高井戸までの距離が長く、旅人が難儀していました。そこで、名主・高松喜六らの願いにより、その中間にあたる地に宿場の設置が認められました。この宿場は、内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の起こりとなりました。

新宿区の紋章[昭和42年3月制定]
古来から堅実さを表すといわれている菱形を原型に、新宿の「新」の一字を一筆で勢いよく描いたもので、新宿が将来に向かってますます堅実に発展していく意を表現するものです。
新宿区 高級賃貸